【音楽の追憶】

【音楽の追憶】全国の寺院、ホールをツアーした思い出の記事!35歳の暑い夏の日の追憶である。
人は軌跡を残し歩まねばならない。人は真理を求めて模索求道しなければならない。何のためか?それは人の心を耕す為である。生きるとは業を背負って人の為に生き、生かされている事に気づくこと。真理を求めて軌跡を残すこと。これが人生であるからだ。Seigyo
【追記】私の中で追憶する事はエネルギーになる。新しい発想も、発案も全てはこの追憶にある。

思い起こせば小学生の頃、自分の赤ん坊から幼稚園時代の写真をよく眺めていた。それは自身のアイデンティティの発見であった。

自分らしくある事。
個性的である事。
型にハマらない事。

そして、コンプレックスを長所と美学に変換する事で現在のアイデンティティがある。

音楽をやりながら、常に稼ぐことを義務付けられたプロフェッショナルとしても活動に疑問が生じたこともある。

そして逆行!自分の創造性に身を任せてたどり着いた思想音楽。それでも音楽だけで生計は立てられたから不思議でならない。

手本としたのは尊敬するドラマー、マックス・ローチが演ったウイ・インシストだ。アフリカ原点回帰である。

30代に突っ走っていった私の軌跡はその後の音楽活動をボロボロにした。過酷な活動からくる腕の障害である。ケアする時間もなく突っ走ったツアー活動。スティックが握れなくなる代償は計り知れないものとなったが、不思議と後悔はない。それはまた学生時代に真摯に向かいあったベースボールを生業にする新たなる道が拓けたからだ。

新たな道を見つけた事で音楽活動を休止してしまったが、私に文句ひとつ言わずワガママを聞き、ついてきてくれたバンドのメンバーには心から感謝していればこそ、申し訳のない気持ちで今はいっぱいである。

私のアイデンティティはこうしてしか見つけることは出来ないが、これだけは言える。時間があっという間に過ぎる昨今で、過去の追憶は良いことも忘れたい程嫌な事も、これ即ち全てが〈己らしく歩んでいる〉と言えること。

だから自分が嫌になることは無い。他人から嫌がられる存在ではあれ、せめて自分自身くらい自分を好いてやらなきゃどうなる!っと感じるのだ。

いや、違う。自分にとって好きな人間像を鏡に映し自分を演出していく!個性を磨きながら。

己のアイデンティティの演出は追憶と共にまだまだ続く!

Seigyo

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プロドラマー/タレント/プロベースボールテクニカルコーディネーター松林正曉(SEIGYO )オフィシャルサイト

2コメント

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  • 松林正曉(SEIGYO)

    2018.08.07 08:27

    @さみえる楽しい事はなくてもそれを教訓にして現在の道を選んだんだからそれで良いんだよ!
  • さみえる

    2018.08.05 21:09

    素晴らしい👏 オイラには、、幼少期については、 楽しかった記憶、何一つ無い… それゆえに、別の道を選んだ。